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Hattrick における Nippon の歴史

Hattrick における Nippon リーグの歴史を振り返ってみたいと思います。

Hattrick は今年で 26 年目を迎え、85 シーズン目となる現在、 150 のリーグが存在しますが、Nippon は比較的古くから続くリーグです。

私が Hattrick を始める以前に関しては Hattrick wiki (https://wiki.hattrick.org/wiki/Main_Page) の記述に頼っているところもあり、また私の記憶違いもあるかもしれません。ゲームを離れていた時期もあります。事実と異なる点がありましたらご指摘ください。

なお、ユーザーが引退するとクラブは Bot 化し、やがて他のユーザーのクラブとなるため、クラブのリンクは既に別のユーザーのクラブとなっている可能性があります。

初期の Nippon

Nippon リーグは Hattrick の二度目の拡大の際に始まり、これは 2001 年、グローバルシーズンで第 13 シーズン目だったと記録されています。

最初期の Nippon にはごく限られた数人のユーザーしかいませんでした。
Nippon 最初のユーザーは 2001 年 6 月 6 日に登録した saheki (34088) で、Seibu Lions (32048) というクラブ名で始めました。このクラブはすぐに Shirayuri Sky と名前を変え、Nippon リーグの初期にタイトルを独占するようになります。シーズン 2 から 15 まで J. League (3594) を 14 連覇し (シーズン 1 の優勝は Bot チーム)、またカップ戦でも The Emperor's Cup をシーズン 3 から 15 まで 13 連覇を果たしました。どちらも最長の連覇記録であるだけでなく、シーズン 73 の現時点でも依然として最多の優勝回数であり、、これを超えるクラブは出てきていません。

事実上の 2 人目のユーザーと言えるのは Charleyboy (43944) で、その Tire Kickers (32043) は、この記事を書いている段階で現存する Nippon 最古のクラブです。
この 2 人の間に jxokix2 (39321) というユーザーが登録し、Sunrise2 (32041) というクラブ名でプレーしていた記録がありますが、長くは続けなかったようです。

しかし Hattrick は日本において決して有名なゲームではありません。この時期の Hattrick は、まだ日本語で表示することができず、日本人の間ではまったくと言っていいほど知られていませんでした。そのため Nippon ユーザーの多くは日本在住の外国人でした。おそらく日本人ユーザーで Hattrick に定着した最初のユーザーは、vino rosso (32126) を率いる takudk (95099) だと思われます。この時期のユーザーの多くは既に Hattrick を離れており、vino rossoTire Kickers に次いで現在存在する Nippon で二番目に古いクラブです。


日本語の導入

Hattrick で初めて日本語表示できるようになったのは 2005 年、グローバルシーズンで数えると第 27 シーズンでした。Hattrick で 36 番目の言語です。
Hattrick では翻訳は Language Administrator (LA) と呼ばれるボランティアによって行われており、初期に日本語化を行ったのは日本語を読み書きできる外国人たちでした。
フランス人の Junnja (129966)、ブルガリア人の beesuke (3048282)、記憶が確かならばアメリカ人だった acarl (4494340)、彼らは母国語でないにも関わらず日本語化に尽力してくれました。特に Junnja の貢献は大きかったと言えます。
しかし相変わらず日本人ユーザーは少数であり、フォーラムに日本語の書き込みは一切ありませんでした。


コミュニティ

この状況が変わったのは、2007 年に N-Kobayashi (LA-Kobayashi)(6944439)、つまり私が Hattrick に加わってからです。私は FC Sagami (939825) というクラブでプレーしていました。私は LA として翻訳に協力しただけでなく、フォーラムで積極的に日本語で発言し、また外部のブログで Hattrick を日本人向けにアピールしました。Hattrick Press にも記事を投稿し、コミュニティの活性化に務めました。

また Nippon のコミュニティと代表チームにおいて重要な役割を果たしたのが Kes2005 (2322886) です。彼は二つの重要な連盟を組織しました。Japan Football Association (JFA) (19344) と Nippon NT Federation (NNT) (60259) です。特に NNT は、代表チームが公式の連盟を持たなかった当時、代表のノウハウとデータを引き継ぎ、選手をスカウトしたり戦術を決める上で決定的な役割を果たしました。


最盛期

最も盛り上がっていた頃には、毎週日曜日のリーグ戦開催時にはフォーラムに日本語と英語の両方でライブスレッドが建てられ、活況を呈していました。
2009 年 8 月には、stoked on trent (32040) の監督 EmperorRob (1151670) の協力のもと、千葉県一宮町で大規模なオフ会のようなミーティングが開催され、バーベキューを行を行って親睦を深めました (12862008.1) (日本人の参加者はわずか 2 人だけでしたけれども)。
MD-JakobTrier (521166) によって、毎週リーグの結果を予想する ToTo が開催され (14218)、また代表チームの試合結果を予想するゲームもたびたび行われました。

Nippon にクラブを持たないながら積極的にコミュニティに参加する外国人ユーザーも少なくなく、その中には NaokiSoma (8768466)oafcmetty (3054152) のように代表監督を努めただけでなく、GM として Nippon に関わったユーザーもいます。

ユーザー数も順調に増加しました。Nippon で最もクラブが多かったのはおそらく 2012 年の夏で、当時のルールでは追加クラブを持つことができなかったにも関わらず、アクティブなクラブの数は 800 を超えました。

私自身は 2012 年に一旦ゲームを離れましたが、翻訳は Cloud9 (939394)six-man (10374824) を中心に引き継がれました。


追加クラブの導入

しかし 2012 年後半になるとブラウザゲームの人気の低下もあり、Hattrick 全体でユーザー数が低下していくようになります。同時に Nippon のクラブ数も減少していきます。Nippon のユーザー数の減り方は Hattrick 全体のユーザー離れよりも速く、800 あったクラブが半年後には 500 を割り込みます。

しかしクラブ数増加のために 2013 年に Hattrick が追加クラブを解禁すると、Nippon のクラブの数は再び一気に増加します。Hattrick はヨーロッパのユーザーが多く、メインのクラブは自国リーグに持ちながら、追加クラブは比較的小さなリーグに追加クラブを持つ傾向があります。最近は新設されるリーグに追加クラブを持つユーザーが多いのですが、追加クラブが導入された当時、Nippon は人気のリーグの一つでした。ここから現在まで、一貫して Nippon の約半数弱がセカンド、サードクラブです。

ユーザー数、クラブ数は HT Flagtools (https://www.ht-flagtools.org/) で確認しました。


J. League

さて、リーグに話を戻しましょう。
連覇を続けていた Shirayuri Sky がタイトルを明け渡すと、様々なクラブがリーグ優勝を果たすようになります。シーズン 16、Shirayuri Sky 以外で初めてリーグタイトルを獲得した有人クラブは vino rosso でした。その後は毎シーズン王者は交代し、連覇どころか複数回優勝するクラブもなかなか現れませんでした。Shirayuri Sky の強さが際立ちます。

Shirayuri Sky を除いて初めて複数回の優勝を遂げたクラブは、Biengo (322974)Nagayama (32194) でした。Nagayama はシーズン 18 に初優勝し、その後シーズン 23、28 と最終的に 3 回リーグタイトルを獲得しました。
では連覇は? Shirayuri Sky の次に連覇を果たしたクラブは myamlak (3197808)pirxy (526977) です。シーズン 22 に初優勝すると、次のシーズンは Nagayama に譲り準優勝にとどまったものの、シーズン 24 から 27 まで 4 連覇を果たします。

その後いくつかのクラブが黄金期を築いては消えていきました。Avatars of Wilderness (940080)Komatsushima Keirin Riders (941052)Adeptus Custodes (940781)、これらのクラブはピーク時には他を寄せ付けない圧倒的な力でリーグを支配しました。

しかし Hattrick は頂点に居続けるのが難しいゲームです。チーム全体を全盛期の選手で構成しないとトップディビジョンにとどまることさえ難しいです。経験があり賃金が比較的低くなる高齢の選手で競争力を維持するためにはスタミナシェアを高くしたトレーニングが必要であり、同時に若い選手を育てることはできません。そのため主力選手の黄金期が同時にクラブの黄金期であり、その世代が衰え引退すると、もう一度選手を育てるモチベーションを維持できるユーザーは決して多くはありません。
例えば代表チームであったり、あるいは Kawasaki Tigers (32183) を率いた MD-JakobTrier (かつて世界で一番成果のポイントが高いユーザーでした) のように成果やフラグを集めることに別のモチベーションを見出すユーザーもいますが、多くの場合はチームの黄金世代の終わりとともにゲームを去ってしまいます。

その点で、繰り返し黄金期を迎える pirxy は特別なクラブです。11 回の J. League 優勝、12 回の The Emperor's Cup 優勝と、Shirayuri Sky の記録に迫る所まで来ています。しかし pirxy は再びチームの再編期に入ったようです。記録を破るのは当分先のことになるでしょう。

pirxy のライバルと言えるのが、9 回のリーグ優勝と 4 回のカップ戦優勝を誇る Akihabara Tigers (939554) です。Akihabara はシーズン 36 から 57 まで連続 22 シーズン J. League に在籍しました。これは Shirayuri Sky よりも pirxy よりも長い Nippon の最長記録です。その後 Div.III まで落ちながら、シーズン 66 には再び J. League に復帰し、今またタイトルを狙っています。しかも Akihabara が J. League に不在だったシーズン 58 から 65 の 8 シーズンのうち、シーズン 60 を除く 7 シーズンでオーナー Meiyuu-Kantoku (9717801) はセカンドクラブの Mozart FC Ongaku-Gakkou (32149) で J. League をプレーしていました。その間に Mozart FC Ongaku-Gakkou は、優勝こそ達成できなかったものの 2 度の準優勝を果たしています。
Akihabara Tigers はグローバルシーズン 59 (Nippon のシーズン 47) に Hattrick マスターズを優勝し、今のところ世界一に輝いた Nippon で唯一のクラブとなっています。

近年リーグ優勝 3 回を果たした Destrello (6404647)Catalunya F. C. (940405) がチーム再建のために現在 Div.IV まで落ちており、pirxyAkihabara のように復活するのか興味深いところです。
また 3 連覇中の sasa4pin (10458034) 率いる sasasasa (939563) も選手のピークが過ぎており、今シーズンは Akihabara Tigers と激しい優勝争いを繰り広げています。第 12 節が終わり残り2試合の段階で両チームの勝ち点差は 1。どちらが優勝するかわからない状態です。最終節の直接対決 (716746821) がタイトルの行方を決めることになるでしょう。sasasasa はシーズン 48 に一度優勝した後、Div.IV からチームを再建した経験があります。


代表

Hattrick には各リーグに代表と U21 代表 (以前は U20) チームがあります。中には自分のクラブの成績よりも代表に力を入れるユーザーもいます。

Hattrick に代表チームが導入されたのは 2002年のことであり、初めてのワールドカップは現実と同じように日韓共催ということになっていました。しかし当時は Nippon のユーザー数も少なく、代表も組織されていなかったため比較的個人的な体験だったようです。開催国だったにも関わらず、予選敗退でした。

代表の組織化は Kes2005 による Nippon NT Federation の立ち上げに始まります。2021 年に Hattrick が誰でも参加できる代表の公式の連盟を実装するまで、この連盟は Nippon 代表の要でした。

代表の運営で重要な役割を果たした Kes2005N-KobayashiNaokiSoma といったユーザーが代表、ゲーム、あるいは Nippon を離れた後、近年の代表を語る上で触れなくてはならないのが oslicek (5154998) の貢献です。彼は Totemo Baka II (939983) というセカンドクラブで Nippon でプレーし、2014 年に U20 代表監督 (当時は U21 ではなく U20 でした)、2015 年に代表監督となると、その後の Nippon 代表をリードする存在となります。これまでに代表監督を 10 回、U21 代表監督を 7 期努めています。新しい代表のルールで導入されたアジア・オセアニアカップで二度銅メダルを獲得したのは彼の功績です。

古い代表のルールのもとで Nippon がワールドカップの予選を突破したのは、第 5 回、10 回、11 回 (ラウンド III 進出)、12 回、15 回、25 回 (ラウンド III 進出)、26 回、27 回 (ラウンド III 進出)、参加リーグの数もユーザー数も異なるので、一概に比較はできませんが、これらの大会は成功と言えるでしょう。
新しいルールではアジア・オセアニアカップがワールドカップの予選を兼ねるようになりました。このルールのもとで Nippon 代表は 第 33 回 (ラウンド II 進出)、34 回 (ラウンド III 敗退)、36 回 (ラウンド III 進出) のワールドカップに出場しました。

U20/U21 のワールドカップで予選を突破したのは、第 9 回、30 回 (ラウンド III 進出)、32 回 (ラウンド III 進出)、33 回 (ラウンド II 進出)、34 回 (ラウンド I 敗退)、35 回 (ラウンド I 敗退) でした。

アンダー世代ではあまり良い成績を上げていなかった Nippon ですが、最近は改善しつつあります。最も成功した第 30 回と 32 回の世代は、その後 oslicek のもとで代表の主力となりました。33 回以降の世代が代表の主力として定着するのはこれからでしょう。


Nippon リーグのこれから

ここのところ Nippon のクラブ数は 300 やや下回るくらいの数で安定しています。Hattrick で新規リーグが次々に開設されている現在、もちろん大国ではありませんが最も弱小のリーグというわけでもありません。中堅からやや下くらいの規模です。

しかしフォーラムの活気という点では小規模リーグにも劣ります。フォーラムは日本語と英語を公用語としていますが、最盛期のような活気はなく、特に日本語ユーザーの書き込みは見られません。英語しかないところに日本語で書き込む勇気のある日本人はなかなかいません。また追加クラブでプレーしている外国人ユーザーにとって、メインのフォーラムは自国フォーラム、もしくはグローバルフォーラムです。どこかのリーグに追加クラブを作ろうと興味深いリーグを探しているユーザーにとって、活気のないフォーラムはマイナスポイントです。

一方、日本人にとっての障壁は、やはり日本での Hattrick での知名度です。
フォーラムを活性化し、SNS などでアピールすることが Nippon リーグの競争力強化につながるのではないでしょうか。

2023-09-19 08:24:20, 180 views

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